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2022.12.13

建築街歩き…「軍艦島(端島)」

こんにちは。リフォームガーデンです。
12月と共に急に寒くなりましたね。師走の慌ただしい日々、みなさまどうぞ、お体に気をつけてお過ごしください。
秋に3年振りに遠出の旅行をしてきました。
“現存する建築”とは少し違いますが、今回は、長崎市の「軍艦島(端島)」をご紹介します(^^)

 

長崎市「軍艦島(端島)」

「軍艦島(端島)」は、長崎港から船で40分程のところにある小さな海底炭鉱の島です。
島の大きさは、南北約480m、東西約160m、周囲約1,2km、面積約65,000㎡で、もともとは、現在の3分の1ほどの草木のない水成岩の瀬でしたが、周囲を6回にわたって埋め立て、護岸堤防の拡張を繰り返して、今残っている形状となりました。

端島が「軍艦島」と呼ばれるようになったのは、岸壁に囲われ鉄筋コンクリートの建築が立ち並ぶ外観が、大正時代に作られた軍艦「土佐」に似ているためです。実際に船から島の姿が見えてくると、細長い島の形状や緑の見えない人工的な姿は、確かに軍艦のシルエットのようでした。


「端島」の歴史は、明治維新から間もなく、島の海底に良質な石炭が埋蔵していることが発見されて小規模の採掘が始まり、1890年に三菱合資会社が買い取って本格的な採掘が始まりました。

戦後の復興の中で、燃料以外に製鉄の際のコークスとしても用いられ、最盛期の1960年頃には炭鉱で働く人やその家族など、約5300人もの人が住み、なんと当時の東京都23区の9倍ほどにもなる日本一の人口密度だったそうです。
島内には小中学校や病院の他、映画館やパチンコなどの娯楽施設もあり、島から出ずに生活することができました。

その後、石炭から石油への主要エネルギー移行などにより炭鉱は衰退し、1974年に閉山した後は長く無人島になっていましたが、2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして、世界遺産に登録されました。

 


鉱山施設は、ほとんどが崩壊していますが、主力坑だった第二竪坑への昇降階段部分がかろうじて残っています。
ここでは、地下を掘り進み600m以上降りて採掘していたそうです。
炭鉱の労働は非常にきつく常に危険と隣り合わせだったため高給で、当時三種の神器と呼ばれ、人々のあこがれだったテレビ、洗濯機、冷蔵庫を島のほとんどの家庭が所有していたと、ガイドの方が話されていました。

 

中央の「30号棟」は、1916年(大正5)に建築された7階建ての鉱員のアパートで、日本で初めて建てられたRC造(鉄筋コンクリート造)の集合住宅とされています。
この建築が東京や大阪などの大都市ではなく、九州の小さな海底炭鉱の島で最初に建てられたとは驚きで、端島の最盛期の活気と人口密度が想像できます。小さな島に人口を収める手段として住宅が高層化し、狭い島内にRC造の集合住宅が次々と建設され、「軍艦島」と呼ばれる景観ができたのでしょうね…

現在は、当時の建築物は廃墟となっているため、端島には許可を受けたツアーで、指定された一部の場所のみ見学することができます。
島に上陸するには、波の高さなど海象条件の制限もありますが、ガイドの方から島の歴史や当時の人々の生活の様子などの話を聞くことができます。
興味のある方は、長崎に行かれることがあったら、ぜひ参加してみてください(^^)

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